世界は私たちに優しい

しんどい世界をしんどいまま生きる私たちと、そうではないことを信じさせてくれる人たちについて

LDHを内在するGENERATIONSの(UNITED JOURNEYを中心とした)雑感

「UJの雑感」にしようとしてたんですが、そういうタイトルにするにはそれ以外の私感を書きすぎた。
UJが終わってから1ヶ月たってからも細々と書いていたせいでUJの記憶が薄れ、関係のない雑感まで書くようになったせいでこういうタイトルになりました。


※これは人に読ませることを考慮して書かれた文章ではありません。
※つまりめちゃくちゃ読みづらいです。
※私感です。私の、感想です。
※前置きにUJとは全く関係のない話をしています。そして前置きが長いです。


最初から最後まで全部で17,622文字あります。読みにくい文章がそれだけの量続いているので、まじほんと読みにくいです。

 

 

 

 


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ここが前置き。

まずはじめにHiGH&LOW(以下ハイロー)を好きになりました。
ハイローがいかに面白いか、いかにアクションが素晴らしいか、いかに男たちの顔がいいか。それらを熱心に語るツイートを何件か見ました。ザムが上映する少し前の時期のことです。
EXILEの人たち」が出演する話であることは知っていて、当時の私は彼らのことを「私とは関係のない人たち」としか思っていなかったから、苦手意識も嫌悪感もなく、ただただ関係ない人たちが関係ないところで映画を作っているとしか思っていなかったんですよ。
アツシさんとタカヒロさん(半角英にするのめんどくさいから片仮名で許してね)くらいしか人物名を知らず、三代目もグループ名のみ、セカンドとジェネに至っては存在も知らなかった。
だからこそ、「最高峰と言ってもいいアクション邦画」。ザムの上映が始まり、ぽつぽつアクションを讃えるそのようなツイートを観測した私は、ひょいひょいとフットワークも軽く最寄りの映画館に観に行くことができたんだと思います。特に躊躇せず。
あとシンゴジラもやっていたので。
結局、その日のうちにシンゴジラ二回とザム一回見て、翌日もう一度ザムを観に行きました。


私は「人を殴る文章」がずっと好きで、殴って無理やり作者の意図を通す・知らしめるみたいな文章が好きで、私はザムに殴られてしまった。
押し通したい意図というのが全く分からなかったけど、そこには伝えたい何かがあって殴ってきていたことは分かったので、ザムを繰り返し繰り返し見ました。
それを差し引いてもアクションがめちゃくちゃ楽しくて、キャラクターが誰も彼も立っていて、どのカットも画として美しかった(神輿に乗ることにした人の子、日向紀久にずぶずぶになった話はいつかするかもしれない)。
ドラマのS1、S2を一気に観て、ザムを見て、を繰り返しているうちに、戦闘シーンになると流れる音楽が脳みそを侵し、血になって身体中を巡っていることに気づきました。大概麻薬というのは依存してからやばいと思うものなんでしょうね。
私とは関係のないはずだった彼らの本業です。
RUN THIS TOWNが一番好きだと思いました。
ルードの在り方にぴったりの疾走感のあるメロディと、大人になれなかった子どものような澄んだ声。
私は日向紀久に心臓を捧げたからVOICE OF REDが好きだし、雨宮兄弟が乱入してきたときに全部の音を塗り替えてしまうSINが好きだし、九龍の圧倒的な力を示すようなOne Time One Lifeが好きだ。
EXILEの人たち」のMVを見ました。たぶんFeel So Aliveあたりだったと思う。なんだあれ、すごい。
サントラ出ないかな~とか思いながらトレーラーを死ぬほど見ました。バーニーめちゃくちゃ顔きれいだなと思いました。このころにはもうジェネの曲が良くて声が良くて7人がかわいいことを知っていた。
ハイローアルバムが発売され買いました。
ハイローライブが決まりライビュに行きました。


自分のLDHへのすっ転がりっぷりを時系列で追っていくと、まんまとLDHの販売戦略に付いていったんだなあと思うし、ザム見てから2ヶ月でライビュに行っていることを考えると、すごい短期決戦型のマーケティングだったのかなと思う。
制作サイドは予測していなかったとは言ってましたが。


ライビュに行って本格的にGENERATIONSにはまって、バーニーを見て死ぬほど顔がいいなと思っていた亜嵐くんを好きになって、もうすぐで2年くらいか。あっという間だな、こんなに短い2年があるか?


ハイローのライブビューイングで、私はもう取り返せないほどにLDHが大好きになってしまって、それは彼らが死ぬほどかっこよくてかわいくて歌がうまくてパフォーマンスに度肝抜かれたから、っていうのももちろんそうなんですけど。
そうなんですけど、ハイローにはまって初めてLDHのライブに行きますっていう私のような“新規”をめちゃくちゃに楽しませてくれたからだ。私をちゃんと客として扱ってくれた。
ハイローにはまった客をLDHのライブにまで連れてくるための導線が見えたから、客として扱われてる、「お呼びではない」と言われていないと感じられたんですよ。
それに気づいたのは散々彼らのエンタメを浴びて脳みそどろどろに溶けたのが治ってきて、「なぜ彼らはここまでしたのか」を考え始めたときなので、この理由は後付けっぽいっちゃぽいですね。
私はずっと「EXILEの人たち」のことを「私とは関係ない人たち」だと思っていたけど、全然違っていて、彼らはずっとその社名の通りLove,Dream&Happinessを届けようとしてくれていた、全人類に。私が人である限り、彼らにとって関係のある人だったんだ、ということを私はもう少し先に知ることになるわけだけれど。


ここまでが長い長いプロローグで、前置きです。
なんなら別のタイトルとして起こすべきだったかもしれない、これから書くUJの感想とは全く関係のないことのような気もする話です。
ハイローからLDHにはまった私が書いておくべきだった、なぜ私がLDHのファンになったのかの話だ。

 

 

 

 


以下本題。

GENERATIONS LIVE TOUR 2018“UNITED JOURNEY”
東京3daysを観に行ってきました。1日目はライビュ、2,3日目は1塁側と3塁側の席を頂きました。
彼らの10公演にわたる航海が終わりましたね。終わってしまいましたね。
始まったときは終わらない気でいたんですけど、実際はあまりにもあっけなく終わってしまって、東京駅に向かう電車の中でまだ終わってないような気持ちでジェネ高を見たりしてました。タガメを食べる回です。


私が生で彼らを見ることができたのは名古屋2daysと東京のラスト2daysで、よっぽど人よりは見れている方だと思うのですが全然足りない。
彼ら7人とサポートダンサーの皆々さんで創り出したあの世界が、どうやっても記憶から抜け落ちていくのがつらすぎる。
グッズとかのコンセプトとかにもありましたけど、「日常にGENERATIONSが紛れ込むように」創られたあの世界観の一端が確かに私の日常にあったのに、もう二度とUJを観に行けないんですよ。
は~~~~?こんな残酷なことがあるか?
円盤が出たって全然足りない。私はあのキラキラした計5日の旅の記憶と思い出を、後生大事に胸に抱えて生きていくのだ。


長ったらしい未練が終わらないから終わらせて、UJ通しての感想を書きます。
前回の名古屋の感想は曲ごとで書いていったから今回はメンバーごとで書いていこうかな。

 


メンディーさん

この人がGENERATIONSの一員であることにずっとずっと感謝しっぱなしだ。いやそんなの他のメンバーにだって思っていますけど、メンディーさんの、メンディーさんにしかできない役回りというのが私は大好きです。
YMCAのMVで星条旗のハットを被って現れたのを初めて見て、「これは最高のMV」と確信したときのような気持ち。


センターステージ上でpg生の背中を押しながら1塁側行ったり3塁側行ったりする曲はAwyですか…?
あのときのメンディーさんはただの父で困る。
7人とも手つきが優しくてみんな姉、兄、友達!みたいなんだけどメンディーさん、パパだ…。
あのおっきな手で背中を支えられたら緊張も飛んでくんじゃないかな~って安心させてくれる。
Awyでステージ裏に消えていくとき、スクリーンが閉りきる寸前にいつもかわいい敬礼をしてくれてありがとう。


メンディーさんのラップパートが大好きで、大好きなのに忘れてしまうから歌詞カードが欲しい。MC(ライブ)でも歌ってたのにね…。
私に「仲間、宝だから守るために組むスクラム」以外の歌詞を記憶する脳をくれ。
仲間を守るためにその仲間同士でスクラム組むの、戦闘集団っぽいしチームっぽいし、全員オフェンスという感じがしていいですね。誰か一人が先頭に立つわけではないと言うのがいい。
あとここのメンディーさんのラップパートでくすくす笑う人が本当に嫌。憎い。
私は笑いが持つ暴力性というのを憎悪しているので、メンディーさんが何らかの真面目なアクションを起こしたときに笑う人とかを見るとどうしても「ぶっ殺すぞ」と思ってしまうんですが、ご本人はとりあえず今のところ気にしていないとかいう尋常でない懐の広さを見せてくれているので、私も適度に落ち着きたいなとは思います。落ち着きたいけど憎いものは憎いので、憎いと思いながら落ち着きます。
エンターテイメントは我々に笑いを提供してくれるけれど、我々から発される笑いで絶対に傷ついてほしくない。


パフォーマーショーケースのときのインディアンのメンディーさんもめちゃめちゃめちゃにかっこよくて、なんでこのかっこよくて雄々しすぎる人がYMCAであんなにもコメディアンになるのか訳が分からんすぎます。人格が別か?
私のUJ衣装MVPはパフォーマーショーケースのときのメンディーさんのエムバク。何ならOPムービーの数原さんのエムバク。衣装が大好きなので設定とかデザイン画とか見せてほしいです…これまでなかったから今回もないか…駄目か…。
この際なのでパフォーマーショーケースのこと話しますけど、ブロードウェイ(小森隼)、サタデーナイトフィーバー(祐太くん)、KRUMP(佐野玲於さん)、インディアン(メンディーさん)、西部劇(亜嵐くん)でアメリカの地と文化を旅するのほんとに天才のショーケース過ぎた。
最後5人そろって踊るところのBGM、各メンバーパートで使ってた音が使ってあって粋だ~。メンディーさんの民族っぽい音とか亜嵐くんの銃声とか、入っているのが聞こえるとGENERATIONSのパフォーマーそれぞれが息づく一作品なんだなと思える。
あそこの音源もほんとにお願いだから欲しいです。設定ぜんぶ欲しいです。強欲。


終盤の小森隼以外のパフォーマーが上裸になるところ、ゆたれおあらが完全に上裸の中、メンディーさんが隼に気を使ってなのかタンクトップ一枚だけ残してるの優しいしあの格好が一番えろい。逆に早く脱いでくれ。脱いでくれと思っていると次の瞬間にはさっさと脱いで花道駆けていってくれるので心臓が止まらずに済む。一つの命が助かりましたね。

 


数原さん

人間の歌がうまい。本当に歌がうまい。例えばアツシさんの歌のうまさを神代のものと思っていますので、数原さんは人間の歌。人として歌う歌がうまい。


ライビュで聞いたHKDは音響の問題なのか数原さんの声がすごく遠くに聞こえたんですが、現地で聞くHKDは全然そんなことなかったのでやはりライブは生で見るべきなんだなと思いました。
そしてドラム。
この人を前にしてかっこいい以外の言葉を言える余地があるのかってくらいかっこよくて最高だなと思いました。ドラムの良し悪しは分からないんですが、中国のMCツアーの最中にも時間を見つけて練習していたというその成果100%が、ステージの上で披露できていたのならうれしいです。
できることを増やしていきたいという姿勢とか、そうすることで得られた技術とかを、ライブという彼らにとっての最上のステージの上で我々に見せてくれることの、なんて贅沢で一ファンとして冥利に尽きることか!


涙。
SSでの花の演出も、LDHツインボーカルシステムにおける最高傑作という感じでしたけど、UJの涙も大概だなと思いました。なんだあれ。
VBAを運命の太極図を作るためのシステムだと思っていますが、数寄はなんであんなに分かりやすく正反対なの…なんで…。あれ地物ですか?作り上げられたものとかでなく?
あの正反対の二人が、歌うときにはまるで一つのものであったかのように混ざり合う旋律になるの、奇跡だ。
毎度毎度、最高の歌を更新するように数原さんの歌声が美しくなっていくのを息を呑みながら聴いていました。アレンジだって美しくて好きだ。もうCD音源では満足できない体にされてしまった。


snow曲のときにカメラ前でなにが表示されないか待ってるみんなはいつもかわいいんだけど、東京2日目かな?数原さんがカメラ前待機してたのに結局何も表示されなくて、歌ってる最中に笑いながら捌けていったのをすごい覚えてる。その笑い声をマイクが拾ってて、(あ、歌ってるときに声が入るほど笑うんだ…)と思ったのでした。少年性を感じた。
数原さんは少年だと思いますけど、それはステージを降りたときの話であって、ステージ上では泰然としているイメージだったので。
いや結構ステージ上でもわちゃわちゃしてるな…?なんでここだけ印象に残ってるんだろう。


ttSの最後あたりで毎回年長組がわちゃわちゃしているのが好きなんだけど、オーラスにして初めて肉眼で見ることができて感慨深かった。
オーラス、初めての三塁側。
(比較的)おっきいものクラブ!て感じ。
年長組の偶の常軌の逸し方は怖いものがありますが、ああやってわーわーぎゃーぎゃーうおー!って言い続けていられるうちは、彼らの「一生青春」が続いているということだろうし何よりそれを見るのはとても幸せだし、という感じで怖いことに目をつむっていてもいいか~みたいな気持ちになってしまうのもまた怖い。
あの瞬間のひどいほどのかわいさというのは本当にひどい。かわいい。


トンチキムービーのところの数原さん「ほうほう、聞こうか~?」とか「こいつしばいていいかな?」。すっごい自然なアテレコだったからまた声優のお仕事やってほしい。


数原さんのやることなすこと全てに、一片の後悔も残りませんように。

 


祐太くん

GENERATIONSの圧倒的センター。Mr.GENERATIONS。いつも幸せなんだって顔で踊ってくれてありがとう。
いつも最後に「今日幸せだった人!!」「俺もー!!」ってやりとりをするのが大好きだ。ほんとに幸せだったよーーー!!って思う。


私はやっぱりどうしても祐太くん登場位置のほぼ真ん前のアリーナに入れた、名古屋2日目を思い出してしまう。
幕開け前の暗いうちから抑えきれないってくらいニコニコしてた祐太くんが見れて幸せだーって思ったし、同じように祐太くんも幸せならうれしいなって思ってました。


センターステージでも花道でも祐太くんは輝いていましたけど、彼の真価はトロッコの上でこそ発揮されるんじゃないか…?ってくらい、トロッコ上での笑顔のスパークリングがすごい。
祐太くんってファンを幸せにすることで自分がさらに幸せになるみたいな、増幅装置的なことをかなり地でやっている気がする。し、もしそれを地でやっているんならステージに立つべくして生まれた人間だな…と思う。


案の定彼のトロッコ曲はどれもこれもすばらしく楽しいしハッピーなんですが、LYMで一気にハッピーが鳴りを潜めるのが、彼が表現者であることの証左というか、ダンスは曲の一部であることを全身で示していてくれているんだろうな~って思います。違和感なく曲の世界観に入り込める。
けれど同時にトロッコという特性上移動するたびに歓声が上がるので、LYM世界と現実世界が同じ空間にあることをまざまざと思い知らされて浸れない所はある。
これ難しいよな~。歓声や悲鳴の無いライブなんて無いだろうし、それに侵されない世界観を私の中に維持するのは不可能なので。でも歓声も悲鳴も勝手に喉から漏れ出すものなので。
空とかはセンステで見たいな~って思った。


祐太くんはなんであんなに輝かしいんだろうなあ。いつもキラキラしてる、ステージ上で発光してるんじゃないかってくらい笑顔がまぶしい。7人のど真ん中に祐太くんがいるの、様式美になってしまっているはずなのにいつ見たって美しいな~好きだな~と新鮮に感じることができる。
ステージ上における彼の言葉、行動、パフォーマンスの一つ一つの中に、いつも「届け!」っていう切実な祈りがあるような気がしている。気がしているから私は祐太くんのパフォーマンスに見惚れるし、ずっと好きでいたいって思うよ。この好きな気持ちを永遠に持ち続けていたい。
祐太くんが、というかGENERATIONSが祈るように踊り歌うのを見ながら、私も「彼ら、幸せであれ」と祈り続けたいなあ。


あと土屋太子ちゃん。なんか東京公演のときのムービーだとかわいさ増して無かったですか?ムービー差し替えしてないよね…すげーかわいい…。このトンチキムービー、これからのライブでもずっと続いてほしい。

 


亜嵐くん

私はこの人が問答無用で好き。この人のパフォーマンスを見続けたいと思うから、他の子たちのパフォーマンスが見られなくなってしまうの本当に悲しいけど、どうしようもないし好き。複眼生物になりたい。最低限円盤には各メンバーのマルチアングル映像がほしい…。マルチアングルの使い方違ってたらごめん。


東京初日で真っ先に思ったのは「あ~亜嵐くん最初から表情が柔らかいよかった」、です。
SiLあたりでやわらかい雰囲気になるな~というのが名古屋初日の感想だったと思うんですが、東京はずっとやわらかくてよかったな~って思いました。
UJ(ライブ)最終日にして初めて三塁側に入った私は小森隼と亜嵐くんのちょうど間くらいに席を頂きまして、ようやっとUJ(曲)の小森隼と亜嵐くんを見ることができました。幸せの絶頂期という感じ。
UJ(曲)のパフォーマンスが好きです。MC(ライブ)のときのMC(曲)のパフォーマンスも好きだったので、ツアーテーマ曲はズブりやすいんでしょうね…。世界観に没入させるためにできてる。


あと手を振る系の曲のとき、いつも右手を大きく振って、左手を「みなさんへ」という形で広げているのが大好き。亜嵐くんがパラボラアンテナだ……。
あれUJだけじゃなくお手振り曲があればどの公演でも見れるんですけど、やっぱりここで言及しておきたいくらいには好き。届けるためのパフォーマンスだなって思う。みんな届けてくれるけど。


UJにおける亜嵐くんの話をするなら、8月4日。彼の誕生日を避けては通れないのでその話を早速しますが、亜嵐くん本当に誕生日おめでとうございます。光あれ。
これを書いている時点で8月も下旬へ入ろうとしているくらいなので、時の流れは速く私の筆進みは遅いなあという感じで、感想を書くというのは難しい。


8月4日が最高潮でした。


え?このままUJ終わってしまうの?ってくらいに最初から最後までクライマックスで、まだ5日の公演があることに終わってから気付いて安堵したほど。
UJ、AGEHA、ALALの3曲だけでも「え、みんな最初から飛ばしすぎじゃない死なない??」ってなってたので、亜嵐くんの誕生日とDVD収録が重なってテンションがはちきれていたのだなあと思います。
亜嵐くんがめちゃくちゃ輝いていた。そこに光があった。
亜嵐くんが手を振るときその手から星が飛び出したし、踊ればその流線にそって天女の羽衣みたいに空気が色づいたよ…。亜嵐くんは詩。
だめだなあ、頭が湧く。戯言なのはわかってるしこんな表現は創作ですけど、亜嵐くんの一挙手一投足がすべてUJの世界観を彩るために構成されているかのように見えたことは幸福です。叫んだり吠えたり脱いだり胴上げされたりお母さんと笑い合ったりしていたこと、そうしていても彼がUJの世界の一部に見えたこと、UJというフィクションの世界の中でさえありのままに存在する亜嵐くんがいることは、三次元の人間を推していく上でめちゃめちゃな幸福です。
GENERATIONSがUJを創り上げたんだなあと思って泣いてしまう。


亜嵐くんがいつもの持たれ方で股パッカーンってされながらステージに運ばれてきたとき、「あ~~~~~愛だ~~~~」って泣いたし、サプライズで登場したお母さんと話しているときも「愛だ~~~~~」って泣いたし、亜嵐くんが「貴重な時間をすみません」って頭を下げてたときも「愛だ~~~~」って泣いたよ。誰かが誰かを思って優しくしたいと思うならそれはもう広義の愛だ……あの空間愛しかなくて本当によかった、見れてよかった……。
過去、ラブリさんがりゅうくんの写真をインスタにアップしてたときに、亜嵐くんは「人の為に人に優しく育ってください」とコメントしていたけど、きっとこれが白濱家で成長すると言うことなんだなあとあの空間を見て思ったのでした。そしてその優しさは愛を持って彼のもとに戻ってくるんだとも。
「亜嵐くんのお母さんが亜嵐くんの顔を見て喋っちゃうから前見て喋ってって言われてたの見て、亜嵐くんが人の顔を見て話を聞いているのはお母さん譲りなんだなって思った」というような内容のツイート(ツイート元が分からず申し訳ない)や、ジェネ高のヒッチハイク回のとき佐野玲於さんが「亜嵐くんはハッピーに育ってきた子」って言っていたのとか、そういうのを思い出しながら、亜嵐くんの中にあるラブドリームハピネスを育む土壌のことを思ったりしています。
優しくされたから優しくするのではなく、優しいのだろうなあ。彼から生まれるものが優しいのだ。
豊かな土壌にこそおいしい作物は実るというか、亜嵐くんが優しいのは優しくいられるだけの懐の深さを育ててもらってきたからなんだなあと思って、亜嵐くんが白濱のお母さんとお父さんのもとに生まれてきた奇跡に感謝します。この奇跡と私の生存期間が被っていて本当によかった、うれしい…。
UJ感想からすごい寄り道してるけど亜嵐くんおめでとうね…。


最後のあいさつが「GENERATIONSをよろしくお願いします」だった亜嵐くん。
こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いします。

 


片寄氏

誕生日おめでとうございます(この項を書いている今は氏の誕生日を過ぎたところです)。
あなたみたいにファンのニーズを冷静に掴みつつ、自分の表現できる範囲とすり合わせながら自己プロデュースできる人が、グループを俯瞰して見ていることは、GENERATIONSがこれから世界へ飛躍していくための大きな柱となるんじゃないかな~と思っています。中国での人気が本当にうれしいです。
もっともっとたくさんの人に愛されてくれ。


彼が王子様になろうとしているのをひしひしと感じるUJでした。
MC(ライブ)の頃から、ウインクの数やカメラを見て微笑む回数が増えたのではないのかなあ。虜にしようという強い意志を感じる。
最初、あのオープニングムービーを見た時には「え!何役???船長ではないよね!????」くらいの気持ちで見ていたんですけど、やはり未だに「え!?船長!?!?」の気持ちは抜けなくて、新鮮に「船長!?」って驚いている。
昨今の大陸での活躍っぷりにはすさまじいものがあるので、彼が船長、頭、顔役っていうポジションになるのは納得の采配のはずなんだけど、それでも諸手を挙げて頷けないのは船長が内包するリーダーの意味(のイメージ)とGENERATIONSか必要とするリーダーの意味が違うからなのでは?と無理矢理っぽいけど意味をつけてみる。
「本来GENERATIONSにリーダーはいない」とかのあれだよ。
個人的には、氏は相談される側の人で、船長とは相談する側の人だと思っているから、氏が船長するの似合わねーなと思っているんだと思う。感覚的なそれっぽくなさ。


氏は王子様をやっていこうとしているので自然と隣に「お姫様」がいることが連想されてしまうんですけど、LDHのサポートダンサーさんたちってお姫様の符号を持たない人たちが多い印象で、なんというか………氏のお姫様になりたい人たち、よかったね……などと思う。でもお姫様になりたい人たちは氏の隣に女性がいると言うだけでも悲しいのかもしれないな。
更にいえば単純に氏が王子様でファンがお姫様ってわけでもなくて、たしかに氏は王子様なんだけれど王様にはならないのでお姫様を迎えなくてもいいっていうか、だからファンというお姫様はいつまでたっても壁の一枚向こう側というか…。
ファン、ステージには上がれないので(演出とかの意ではなく)。
で、だからこそ生きてくるのがプリンス・オブ・レジェンドという未だによく分からない総合エンタメ企画なんですが、あれ、私は氏(と氏を中心とした王子様候補)の為の企画だと思っているし、だから過去の伝説の王子がタカヒロさんと岩田剛典なんだろうと思っていますよ。
プリレジェ、夢文法を持ち出して物語やるのかな?という印象なので、プリレジェの世界にファンを没入させて「プリンセス(お姫様)」をやらせるんならめちゃくちゃ天才だ。
2.5次元という3次元の壁超える囲えないかのところで「あなたが俺のプリンセス」をやってくれるのは親切な話だなあと思います。
UJでのプリレジェ映像、ほんとに沸いた。


【9/3以下追記】
先日のTGCにおいてヒロインの役者さんが発表されたわけで、「あ、そこまでちゃんとした夢文法やらねぇな?」と思いました。
ただ白石聖さんがインタビューで「視聴者の方々一人一人がヒロインになれる」とおっしゃっているので(2018/9/3引用:映画ナタリー/https://natalie.mu/eiga/news/297886)、演じる側としてはそういうスタンスで撮影されているんだなあと心に止めておきたいなと思います。
【以上追記】


(気付いてはいたけどやはり日を置くにつれて記憶がなくなっていくので書いている内容がUJ感想ではなく、UJを見て感じた各メンバーへの私感になっている…。話を戻す努力をします。)


空。
空を歌っている片寄涼太くんは、「これは俺の歌だ」っていう自負?誇り?にあふれている気がする。
やっぱりこの歌は彼にとって特別な歌だと思うから、きっと「いい歌を歌う」ことにこだわって歌ってくれていると信じたい。氏だけではなく数原さんも。
衣装と照明の演出が大好きで、光の中で浮かぶように存在しているGENERATIONSのみなさんが好きだ。


氏についてはあまりガッツリ見てはいないんだけど、モニターに映った時の表情とかトロッコの上での女性ダンサーの扱い方とか、そういうちらちら気づけるところで好きポイントが高くなっていく気がする。
亜嵐くんの誕生日写真撮影大会で、祐太くんがほんとにみんなを撮影しようと6人の輪から離れようとしたとき「ごめん、嘘嘘!祐太くんも写って!」って抱きしめたりする、ああいう気安い、人間らしいところも、王子様らしさと一緒に見つめていきたいなあって思います。

 


小森隼

終演のたび「今日は隼がMVP!!!!!!!」って叫んでた気がする。
みんなMVPなんですけど、私には小森隼のことを過剰に褒めたい気持ちがあるので…。


一番「MVPーーー!!!」って叫びたいのはパフォーマーショーケースのブロードウェイ隼ですね……。
登場するとき胸元の蝶ネクタイをキュッと引き結ぶポーズをやってくれるの超かわいかった。
そして最後には投げキッスで暗転するのが定番だったと思うんですが、最終日は右手で「C」作ってくれてすごい胸が熱くなってしまった。彼がずっと見せてくれていたのは、彼自身のプライドだったんだなあと思う。
投げキスで終わるのももちろん大好きだけど、最後の最後で彼のもう一つのファミリーの影を見せてくれるの、うれしいよ。


ロッコ曲。
ロッコ曲とタオル曲とのギャップにいつも苦しめられていました。
LYMとかで女性ダンサーと踊るときの小森隼の雄々しさと、ttSとかで飛び跳ねながらタオルを振り回す小森隼の幼さがなあ…。これは佐野玲於さんにも言えることですけれど、普段グループの中で最年少然としているこの二人が当然のように「成人」の「男性」であることを私はいつも忘れてしまう。忘れてしまうから彼らの背中の逞しさに気付くたび「この人たちはGENERATIONSの武器をやっているんだなあ」と思います。それは忘れちゃだめだよな…。
いやステージに立っている人たちは未成年でも全然武器をやっているんですけれど、やっぱりどうしても「未成年じゃん…」みたいな気持ちが勝ってしまうときがあるので、そんな躊躇いの必要もなくGENERATIONSの武器をやってる彼らに声援を贈れるのは私の心にとって優しいことだなあと思います。
かっこいいから彼らのことを好きになったけど、かっこいいだけじゃないから好きでい続けられる。


YMCA。
曲入りの時にワンクッション挟むやつ、小森隼がアンプ?に足かけながら「てめーらもっと声出んだろーが!!!!!!(ニュアンス)」みたいに叫んでるのとか、その様子を見ながらGENEとファンのみんなでニコニコしてる時間があるのとか、これからずっと定番にしてほしい。
小森隼の場を盛り上げる力が発揮される瞬間をずっとずっと見ていたい。
あのMAXの盛り上がりの中でGENERATIONSが肩を組んで私たちの方にやってきて、銀テープが飛ばされるあの美しい瞬間を誰もが忘れずにいられることを願う。
メンディーさんとわちゃわちゃしながらチューしたのは最終日でしたっけ。
全然不仲営業になっていないメンディーさんと小森隼くんの不仲営業がいっつもかわいくて大好き。
YMCAで花道を移動するときメンディーさんにめんどくさい絡み方してたところに、亜嵐くんがニコニコしながら割って入って来つつもチューさせる流れ、最終日だから特別だったね。
YMCAの小森隼のはっちゃけっぷりを見てると、かわいいと楽しいが一緒にぶつかってくるから胸が苦しい。


4日の亜嵐くんの誕生日。
亜嵐くんがお母さんと話している最中囃し立てたり周りをぴょんぴょん飛び跳ねる姿がめちゃくちゃかわいかった。
亜嵐くんのお母さんが亜嵐くんの話を遮って話し始めてしまったときに、「うんうん、まずは息子に喋らそうね??」とか言えるの、ラジオとかテレビとかでも言ってるけど、本当に親御さんと仲良しなんだな!って感じが伝わってきて、いや~~好きです。
あんな身内会みたいな瞬間を見せて頂いても良かったんだろうか……。


GENERATIONSの皆さんってお互いへの愛が深いって感じなんですけど、小森隼と祐太くんは愛が大きいって感じで、この亜嵐くんの誕生日祝いのときみたいに、飛び跳ねたり弾けるように笑ったりダル絡みしたり。そんなことをする小森隼を見ながら、愛がおっきな人だなー抱えきれないぐらいだからあんなに大きく表現するのかなーって思ったりしました。
8月4日の、最後のあいさつのときに「亜嵐くん大好きです!」って言ってハグをするほどに彼の「大好き!」は溢れていて、それを真正面から受け止める亜嵐くん、そしてGENERATIONSがいて幸せだなあと思いました。
私は小森隼がとても好きなので、彼が誰かを大好きというとき、誰かが大好きの気持ちを込めて返すなにかがある関係を、外から大好きだなあと思いながら見つめていられて幸せだ。


(全然関係ない話をしますと私、東京まで行くために高速バスを予約していたんですよ。それを目の前で逃してしまって、代わりに乗った新幹線の中で「私の馬鹿~~」ってやっている瞬間に、4日の、例の亜嵐くんおめでとうインスタグラムがアップされたんです。精神の福利厚生…と思った。あの投稿のおかげで不幸をチャラにしていただいた。感謝。)

 


佐野玲於さん

MC(ライブ)でGENERATIONSのドームツアーが発表された時の玲於さんのMCで、「俺がやるから意味があると思いたいし、GENE7人でやるから意味があると思ってもらいたい」って言ってくれたことを胸に抱いて、ドームツアーを見に行きました。
意味はね~めちゃくちゃあったよ。GENERATIONSだからこそできるライブであるという時点で、意味はある。
GENERATIONSが好きでドームを見に行った私にとって、ドームでのライブの観劇は“あなただからこそ見に行った”だし、“あなたたちだから楽しかった”なんだよな…。
あなたじゃなくてよかったなんてことはないし、GENERATIONSでなくてもよかったなんてこともないよ。GENERATIONSのことを多少なりとも知っているから、「佐野玲於さんがやったから意味があったし、GENE7人でやったから意味があった」と言い切りたい。
GENERATIONS LIVE TOUR 2018“UNITED JOURNEY”、あなたの旅路と私の旅路が交差するドームツアー、本当にありがとうございました。


玲於さんは最年少で身長が一番低いのに、そんなこと全然思えないほど大きくてこわいパフォーマンスをする。当然UJでもそういうパフォーマンスをして下さっていてうれしかった。
つい先日8年前のダンス動画をインスタに上げていらっしゃいましたが、「この人もこういうクランプをする時期があったのか…」と謎の感動に襲われました。
玲於さんとかメンディーさんとかのクランプは「面」だと思っていたんですが、8年前のクランプは「線」に見える。伝われニュアンス。
今の玲於さんは怖くて大きいけど、8年前の玲於さんはきれいで細く見える。
これで同じ人なんだと思うと、佐野玲於さんにとっての8年という年月は想像以上に長く豊かなものだったのかなと思います。
パフォーマーショーケースのⓇAG POUNDよかったですね。みんな大きくてみんなこわくて。
私の席からは全日佐野玲於さんの後ろ姿しか見れなかったので残念だけど、きっと真正面から見たら死ぬだろうと思うのであれでよかったのだと思いたい。
私の中ではクランパーのこわいはかっこいいとほぼ同義なので、佐野玲於さん、もっともっとこわいクランプをしてほしい。


オープニングムービーで見張り台に立ち、望遠鏡で行く先を見つめる役割を担っている佐野玲於さんはきっと慧眼を持った人に違いないんだけど、ジェネ高とかを見ていると驚くほど鈍感なところがあったりして、その両極端が面白い。
最年少らしくすっごい甘えたり子供っぽかったりするのに、物事の真価を見抜く力があるゆえに何をどのようにすれば成長できるのか、前に進めるのかを考えることができる、すごい大人な人でもある。
「何をどのようにすれば成長できるのか」が分かるということは「その場でどんなふるまいをするべきか」が分かることに繋がるけれど、佐野玲於さんは佐野玲於さんであるからこそその当然を撥ね付けることができていて、これは甘やかされているということなのかなとちょっと疑問に思ったりする。どちらかというと、みんなが優しくしてくれているという感じだ。彼だけの特権。


FBFG。
東京初日で踊りきれなかったソロのパート。2日目には絶対全力で魅せてくれると思っていたから食い入るように見ていた記憶がある。
モニタリング云々は抜きにしても、FBFGの衣装と歌とダンスが好きだからいつも目を皿にして見ていましたが、ソロの玲於さんめちゃめちゃ茶目っ気がある。いつもか~いつもだな~。
舌出して楽しそうに、ニタニタした、という表現がしっくりくるような笑い方でダンスしてる玲於さんが好きだなあ。
いつ思い返してもラバアゲ、AFY、FBFG、BIOの流れは天才だ。
彼らの憧れと歴史とファンへの愛と継承が全部詰まっていて、これから始まっていくための終わり方だ。みんなどんなことを考えてこの曲順にしたんだろう。


YMCAのところでやってた玲於さんの「今日はEXILEさんも三代目さんもHIROさんも来てるんだぞ!」って言う煽りが大好きですけど、「誰が来てたって今日が世界で一番みたいな気持で盛り上がるよ~!」って思うしそうできてたらいいな~って思うよ。毎日一番を更新する。


パフォーマンス中は全然そんなことないですが、タオル曲とかYMCAとか、はっちゃけられる曲のときにはずっといたずらっ子みたいな玲於さんであってほしい。
PIERROTのとき「誕生日おめでとう」って亜嵐くんに耳打ちしてほくそ笑んでいたみたいに、真面目にかっこいいことをやっていたかと思いきやちょっと羽目を外すくらいであってほしい。
きっと今は大人な部分と子どもの部分を天秤に乗せたら子どもの方に傾くんだろうけど、それは年齢のおかげもあるのかな。
歳を重ね続けるほどに傾きの大きさは変化していくだろうけれど、その変化が玲於さんにとっていいものであり続けますように。
玲於さんを見ているとな~祈りたくなる。なりたいものになれますように。本当に心からやりたくないことはやりたくないと声を上げられる環境がありますように。彼の意志を曲げる何かが彼に訪れませんように。

 


雑感という蛇足(前項からちょっと続きつつ)

私は大概GENERATIONSの皆さんを見ながら祈っているけれど、玲於さんは特別にそうです。
私が見ている玲於さんは意志が強くて強くて強い人だから、彼が良い方へ行ったり悪い方へ行ったりするとき、そこにはすべて彼自身の選択があって、その選択に影響を与えられるのは私のような何の関わりもない一ファンではないと思っているからだと思う。
その選択をしたのは彼の強い意志だと思うからで、その強い意志にできるだけ良いものを選択し続けてもらうには、それこそ大いなる何かに祈るくらいしかできないのだな、私は(まあなんというか、私は私の影響力を信じていないので…)。


かつての「EXILE GENERARION」のピラミッドのトップにいたような子どもたちが、夢を繋いでいくために「GENERATIONS」になってドームで公演をやるというのはロマンがあるなあと思います。
EXILE GENERATIONあたりのシステムをよく分かってないので間違っていたら申し訳ない…EXILE Pyramidの前身であるとは思ってるんだけど…)
海にはロマンがつきものなので、そのあたりのつながりも物語っぽくてよく出来てるなと思いますし…。
「夢を持った若者達」にとって「GENERATIONS」はいつの日かの「僕たち・私たち」だ、という希望なのではないかと思う。そういうことも考えるとUJはGENERATIONSとそのファンにとって素晴らしくて喜ばしいライブと言うだけではなく、「夢を持った若者達」の道しるべとなるような、未来へ続いていくドームツアーだったんだと思う。
だから高校生ダンス部員たちによるパフォーマンスがあったんだと思うし。私は最初あのジェネ高のパフォーマンスに「うわっ(悪い意味)」って思った人間なんですけど、あれをジェネがやるのは分かるので…。
繋がってゆくんだなあ、継承とはこういうことなのかなあと思う。


亜嵐くんとのモバカフェラジオ(https://m.ex-m.jp/Cts/event/2018/mbcafe_amcoffee/spevent/alan_radio/index)でTETSUYAさんがUJを見た感想として、「GENERATIONSって先輩をちゃんと継承してんだな~、継承したいんだな~とか、それでいて自分たちの色も色濃く出してるんだなっていうのかがものすごく感じることができて、感動したんだよね」って言っているので聞いてほしい。私が思っていた以上に、GENERATIONSの7人の精神性には「EXIELを目指したEXPG生」であることが根差しているのかもしれない。


アルバム「BEST GENERATION」をひっさげて開催されたUNITED JOURNEYは、GENERATIONSの過去現在未来ぜんぶをひっくるめて見せてくれた公演だったんだろうなあ。
UJ楽しかったです。最初から最後まで楽しい航海だった。少しでも一緒の船に乗せてくれてありがとうございました。
忘れてしまいたくないので、どうか円盤速いところ販売してくれると嬉しいです。よろしくお願いします。

 

 

 

 


さらに蛇足

ハイローを見て、ハイローで「人間は、たとえ今そうでなくても、よりよいものになろうとできる」ということを教えてもらい、それを実践し続けるのがLDHの人間たちであることに感銘を受け続けている。
「人間はすばらしいものになれる」。
世界とは「こんな」ものだけど、それを「愛するため」に「全てをかけて」くれるということが、積極的に誤読すれば「私がこんな私を愛するために、世界はすばらしいのだと言い続ける」ことが、少なくとも私を幸せにしてくれたんだよ。
だから私は彼らのことが好きなんだ。
「世界は悲しいけれど、いつだって素晴らしいものになる瞬間を待っている」と言うメッセージを絶えず発し続けていてくれることが、どれだけ人を生きやすくしてくれているんだろうね。


そうやって変わり続けることを是とする一方で、不朽の名作を生み出そうとするのもまたGENERATIONSで、それらは両立しうる。
TRANSFORMとEvergreenの対比のことです。私はこの対比が大好きで何度でも話題にする。
私は「Evergreen」がGENERATIONSを象徴する(抽象的な思想・観念・事物などを、具体的な事物によって理解しやすい形で表すこと)歌だと勝手に思っているので、「分かったんだ どんな日も同じ様に響く歌がある」「色褪せないときは今 永遠になる 時を超えて さあ響けEvergreen」という歌詞をすごく大切にしているんですが、それはこの歌詞の中に「変わり続けるあなたの中に、変わることなく光る何かを残す」というメッセージを読むからです。
価値観が変わることや好悪が変わること、おじいちゃんやおばあちゃんになって忘れることが多くなっていくこと。そんな変化の中でも変わらずに残るなにかになろうとしてパフォーマンスをしてくれるGENERATIONSが大好きだなあと思います。
彼らがEXILEに撃ち抜かれたように、彼らもまた私たちを撃ち抜こうとしている。


「一緒に夢を叶えるためにがんばりましょう」とか、「幸せになってくださいね」とか、そういうことを発信し続ける彼らの傍らにはその発言を受け止める私たちが想定されていて、彼らの中に私たちの居場所が確実にあることを教えてくれる。
私は彼らにとって、全然関係のない人ではなかったのだと言うことをライブを見るたび思い出します。彼らはいつだって“私”のために、つまりあなたのために、パフォーマンスをし続けてくれている。


今回のUNITED JOURNEYの中に見た全ての感動が、これから私がどんなふうに変わっていこうとも色褪せずに残るものであってほしいなあと思います。
きっと世界はすばらしいから、みんなで幸せになろうね。

 


UJの二首一組
鮮烈な光が影を焼け付けない 虐殺をする光ではない
やわらかなひかりだ かげをぬいつけないからわすれてしまうひかりだ